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論語「子曰、君子不以言挙人、不以言廃言」に学ぶ[衛霊公篇15-23]
「子曰く、君子は言を以って人を挙げず、人を以って言を廃せず」と読みます。君子は、立派なことを言うからと言って抜擢せず、普段の素行が悪いからと言って意見を無視しない。人の言動に捉われず、意見を聞くということ。また、先入観に捕らわれないこと。「アンコンシャスバイアス」にも通じます。https://www.tech-cube.jp/news/370204.html
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論語「子曰、君子不器寿」に学ぶ[為政篇2-12]
「子曰く、君子は器ならず」と読みます。人は、器で度量や人生観を語ることがあります。ただ、器に制限されてはいけない。イニシャルD風に言えば、キンコン、キンコンが邪魔で、リミッターを外すということか。
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論語「子曰、吾十有五而志乎学、三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩」に学ぶ[為政篇2-4]
「子曰く、吾十五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども矩を踰えず」と読みます。これも、有名な一説です。恐らく、「 」の部分が、人生を達観し自分の使命を悟る。という部分でしょうか。私自身の経験でも、五十代の頃、これまでの現場でのエンジニア、マネージャーから少し離れ、教育・育成という立場になりました。そこで、「教える」こと、「伝える」こと、そして、「気づかせる」ことが、自分と天命と知りました。その後、10年ほどの準備を経て、今の仕事をしています。カウンセラー、キャリコン等で「傾聴」を学んでいるのですが、六十になり、人を言葉が聞けるようになったかというと、まだまだですね。「祗是未在」。
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論語「子曰、知者楽水、仁者楽山。知者動、仁者静。知者楽、仁者寿」に学ぶ[雍也篇6-23]
「子曰く、知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ。知者は動き、仁者は静かなり。知者は楽しみ、仁者は寿(いのちなが)し」と読みます。孔子は、知者と仁者をいろいろな視点で比較します。知者は知識があるが、仁者には及ばない。情愛や徳等人間としての深みが足りないということです。水と山、動と静、時間軸、知識は勿論必要ですが、その上で、ゆったり構え、せこせこしないということでしょうか。その結果、安定感、安心感、信頼感等の人徳が養われる
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論語「子絶四、毋意、毋必、毋固、毋我」に学ぶ[子罕篇9-4]
「子、四を絶つ、意なく、必なく、固なく、我なし」と読みます。先生孔子は、四つのことを絶たれている。勝手な心を持たない、決めつけない、固執しない、我を張らない。なかなかできることではありませんね。世の中のいざこざは、意×必×固×我の産物です。禅でも「利己心、欲望、執着心と言う煩悩から解き放たれた状態」を求めます。論語では、この状態を「仁」と表現します。知識だけでなく、動じず、ゆったり、どっしり、安定している様です。
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論語「子曰、過則勿憚改」に学ぶ[学而篇1-8]
「子曰く、過ちては則(すなわ)ち改むるに憚ること勿れ」と読みます。自分が間違ったことをしたら、ぐずぐずせず改めることだ。間違っていたら、さっさと謝れ。ということで、謝罪は速い方が良いですね。時間は、人を気持ちを妄想によってたかぶらせたり、忘却により薄れさせることもあります。相手にとって、怒りの感情は、時とともに増幅される場合が多いようです。なので、謝り方にも工夫が必要ですが、時間というパラメータもあるわけです。